勉強するをインプット
こんにちは、石嶌之広です。
今回は、「【勉強をする】をインプット」です。
このところ回顧録のようになっていますが、今回もその一つです。
気まぐれなお話です。時間のある暇な方だけ聞いてください。
中2の夏の前の頃、たぶん今の時期くらいだったのかもしれません。
ある日Kという先生が私を宿直室に呼び出しました。
3畳の部屋で「何、おこられるんだろう」という感じで立っていました。
「足くずして座れ」とK先生
そして、座りました。
次のK先生の言葉。
この言葉で人生が一瞬に変わりました。
この日から明らかに人生が変わりました。
その言葉、
穏やかな静かな声で
「お前勉強しろ」
です。
いままで、おそらく小学校後半からその時まで、私に「勉強しろ」と言った人はいません。
誰かが言ったとは思いますが、まったく記憶にないほど耳に入っていません。
おそらく当時の私に「勉強」などという言葉をくっつけるイメージを持つ人がどれだけいたでしょう。
ただこの言葉に驚きました。
この言葉を聴いたとき、頭の中に出てきたこと。
勉強しろ? → 勉強ってなんだ? → ああ勉強か → 勉強って俺がしてもいいの? → 先生がしろっていうんだからいいんだろうか → 勉強するってなんだ? → 本当に勉強してもいい → えっ勉強してもいいのか → 本当だろうか。
こんなようなことです。
勉強してもいい。
これが解ったとき、本当に驚きました。
そこで出てきたのが一冊の紺色のテキストでした。
「基学」
本当にしてもいいんだ。
その時からです一気に始まったのは。
今回は以上です。
誤字脱字文法誤用お許しください。
石嶌之広
追伸
K先生、おそらくいま90歳位になられていると思います。
毎年、年賀状で少しだけですが会話をさせていただいてます。
「先生、こんど学習塾を始めました。先生に教えていただいたこと忘れずにいま子供達に伝えています。」
翌年
「学習塾は少子化で大変だね」
こんな感じです。
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